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松山地方裁判所大洲支部 昭和53年(わ)39号 判決 1984年6月28日

主文

被告人を懲役一年六月に処する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一、昭和五一年七月三一日午前一時五〇分ころ、愛媛県大洲市平野町野田所在国道一九七号線「夜昼トンネル」大洲側出入口付近道路上において、酒気を帯びアルコールの影響により正常な運転ができないおそれのある状態で普通乗用自動車(香五五の二五―九七号)を運転し、

第二、反覆継続して自動車の運転をしていた者であるが、前記日時ころ、前記車両を運転して、八幡浜市方面から大洲市方面に向け前記場所付近を時速約一〇〇キロメートルで進行中、運転開始前に飲んだ酒の酔いのため注意力が散漫となり、前方注視が困難となつたうえ、ハンドル、ブレーキ等の操作も的確になし得ない状態に陥つたのであるから、自動車運転者としては、かかる場合、直ちに運転を中止し、事故発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、漫然前記状態のまま運転を継続した過失により、自車を前記高速度で中央線を越えて対向車線に進入させ、折りから対向車線上を大洲市方面から八幡浜市方面に向けて走行して来た久保田暁子(当二八年)運転の普通乗用自動車(愛媛五五に九二―四一号)前部に自車前部を激突させ、よつて、右久保田暁子を頸椎骨折により、自車同乗者日野素子(当三二年)を内臓破裂により、それぞれ即死させ、右久保田暁子運転車両の同乗者久保田芳夫(当二七年)に対し眼球破裂による左眼失明及び加療約一一か月を要する右眼角膜裂傷等の、同久保田望(当四年)に対し加療約一か月を要する脳挫傷等の各傷害を負わせ

たものである。

(証拠の標目)<省略>

(弁護人の主張に対する判断)

第一弁護人は、判示第二の交通事故について、被告人は大洲方面から八幡浜方面に向けて道路左側(自車線内)を自動車で走行中、これと対向して八幡浜方面から大洲方面に向けて走行して来た久保田側運転の自動車に衝突されたものであるから、本件事故につき被告人は無罪であると主張し、加えて、本件事故における車両の衝突地点及び被告人運転車両の事故時の走行速度につき証明不十分であると主張するので、以下、これらの点について判断する。

1本件事故発生に至る経緯

第五回公判調書中の証人永井仁の供述部分、第六回公判調書中の証人大場廸子及び同久保田芳夫の各供述部分、渡辺照子の検察官に対する供述調書、被告人の当公判廷における供述、被告人の司法警察員に対する供述調書及び検察官に対する供述調書二通を総合すれば、以下の事実が認められる。

(一) 被告人は、本件事故当時(昭和五一年七月三一日、以下、関係者の年令、肩書等は、当時のそれに依る。)、東亜道路工業株式会社に勤務し、同社が請負つた八幡浜市愛宕山トンネル工事の現場責任者として派遣され、同僚の永井仁(以下「永井」という。)と一緒に八幡浜市大字大平一番耕地七九二番地の渡辺照子方に下宿していたものである。

(二) 被告人は、昭和五一年七月三〇日午後一〇時ころ、永井と共に八幡浜市昭和通り所在のスナック「プリンス」に赴き、同店ホステス日野素子(当三二年、以下「素子」という。)らの接待を受けて翌三一日午前一時ころまで飲酒した。当夜、被告人と永井は同店で新規にウイスキー(サントリー・オールド、七六〇CC)一本をキープし、二人でその約半分を空けているが、接待した素子らホステスも飲酒しており、被告人と永井の飲酒割合も正確には判らないため、被告人の飲酒量を厳密に特定することまではできないものの、後述のとおり、本件事故直後に被告人の身体から採取された血液一ミリリットルにつき約2.0ミリグラムのアルコールの含有が認められていることからして、被告人は相当酒に酔つていたものと認められる。

(三) 被告人と永井は、三一日午前一時ころ、スナック「プリンス」をホステス素子と共に出て、同店近くの前記愛宕山トンネル矢野町方面出入口付近まで歩き、同所に停めてあつた永井所有の普通乗用自動車(日産スカイラインGT、香五五の二五―九七号、本件事故当時、被告人が運転していた車両であるので、以下「松岡車」という。)に右三名が同乗して右トンネルの大平方面出入口に至り、同所で永井だけが下車して一人で下宿に帰り、被告人は素子を矢野町の同女宅に送るため松岡車に同女を乗せ、右トンネルを再び矢野町方面に向け引き返した。(なお、当時、愛宕山トンネルは未完成で一般人の通行は禁止されており、被告人ら工事関係者の立入りのみ許されていた。)

(四) 被告人と素子は、八幡浜市矢野町の素子方前付近路上で一旦下車し、二人で三〇分程立ち話しをした後、ドライブに行くことになり、被告人が松岡車を運転し、素子を助手席に同乗させ、国道一九七号線を八幡浜方面から大洲方面に向けて出発した。

(五) 久保田芳夫(当二七年)は、大洲市徳森三一九番地に妻暁子(当二八年、以下「暁子」という。)、長男征史、長女望(当四年)と居住し、大洲市内で喫茶店を経営していたものであるが、本件事故前日の昭和五一年七月三〇日は、午後一一時ころ営業を終え、同市柚木の暁子の実家へ預けていた子供達を迎えに行つた後、自宅へ帰り、風呂に入るなどして時間を過ごした後、八幡浜市内のナイトショップへ家族全員で買物に行くことになり、翌三一日午前一時三〇分ころ、暁子が運転する普通乗用自動車(いすゞ一一七クーペ、愛媛五五に九二―四一号、以下「久保田車」という。)の助手席に夫の芳夫、後部左側座席に長男の征史、後部右側座席に長女の望がそれぞれ同乗して自宅を出発し、国道一九七号線を大洲方面から八幡浜方面に向かつた。

2本件事故発生直後の状況ないしその後の経過

第三回公判調書の証人渡辺豊の供述部分、第三、第四回公判調書中の証人一色光の各供述部分、第五回公判調書中の証人矢野重徳及び同本条征史の各供述部分、第六回公判調書中の証人高木新一の供述部分、大洲警察署長作成の鑑定嘱託書(鑑第二六九号)謄本及びこれに基づく愛媛県警察本部刑事部鑑識課長作成の「鑑定結果について」と題する書面(同鑑識課鑑定人技師高木新一作成の鑑定結果報告が添付されたもの。)、司法警察員渡辺豊作成の実況見分調書、日野慎一の検察官に対する供述調書を総合すれば、以下の事実が認められる。

(一) 昭和五一年七月三一日午前一時五〇分ころ、大洲市平野町野田所在国道一九七号線「夜昼トンネル」大洲側出入口から約二三〇メートル大洲方面に寄つた同国道上において、松岡車は左後部を八幡浜方面行車線外側のガードレールに乗せたまま、大破した前部を道路に直角よりやや八幡浜方面に向けて停止し、久保田車は大洲方面行車線上にほぼ直角に交差する格好で、大破した前部をやや八幡浜方面に向けて停止していた。(以下、松岡車と久保田車の二車両を「本件事故車両」と総称する。)

(二) 大洲消防本部消防士長矢野重徳は、同日午前二時六分ころ、本件事故発生の通報を受け、部下の消防士二名と共に救急車で現場に急行し、約一〇分後に現場に到着した。

矢野消防士長は、現場において、成人女子二名の死亡者(素子と暁子)と成人男子二名の重傷者(被告人と久保田芳夫)を発見し、直ちに部下の消防士二名に命じて右重傷者二名を救急車で大洲中央病院へ搬送する手配をしたが、被告人を救急車に収容する際、同人から酒の匂いがするのを現認している。その後間もなく、二台目の救急車が到着し、矢野消防士長は、久保田征史、望の二名の子供を同車に収容して右病院へ搬送するよう指示し、自らは現場に残り、死亡者二名に対し心臓マッサージなどの蘇生術を施す(その効果は認められなかつた。)とともに他車の進入を防ぐなどの現場保存に努めた。

被告人らが救急車で搬送された直後ころ、大洲警察署交通課交通主任渡辺豊巡査部長が現場に到着し、矢野消防士長から死亡者及び負傷者についての説明を受けたが、救急車で病院へ搬送した生存者の成人男子一名(被告人)から酒の匂いが認められた旨の報告を聞き、同巡査部長は直ちに現場から大洲警察署に架電し、収容先の病院におけるその者(被告人)の飲酒検査の必要を指示した。

その後、渡辺豊巡査部長は、同日午前二時三〇分ころから同日午後〇時三〇分ころまでの間、現場付近を管轄する平野駐在所の司法巡査一名の補助を得て、現場の実況見分及び写真撮影を実施し、同日午前四時ころには、大洲警察署鑑識係長一色光警部補が同警察署長の命令を受けて現場に到着し、司法巡査一名の補助のもとに、専ら本件事故車両の進行方向を識別する目的で、当該二車両の破損状況、道路ないしガードレールに付着した物的痕跡の把握あるいは現場周辺の遺留物品の採取などに努め、写真撮影を実施した。

(三) 被告人は、同日午前二時三〇分ころ、救急車で大洲中央病院へ搬送され、直ちに、同病院医師本条征史の診察を受けた。その際、被告人は、同医師から質問を受け、住所、氏名、年令、生年月日並びに全身状態については割合正確に答えたか、事故については全く返答をしなかつた。本条医師は、右診断の際、被告人からかなり強い酒の匂いを感知しており、大洲警察署員から「採れるものなら、(被告人の)血液を採取してほしい」旨依頼されていたことから、飲酒検査に用いられることを認識したうえで、被告人の左膝関節部の出血部位から流血して貯蓄した状態になつていた被告人の血液を針のない注射器で吸引して約五CC採取した。そして、被告人から採取された右血液は、洗浄された容器に入れられて、その後、愛媛県警察本部刑事部鑑識課へ廻され、同課鑑定人技師高木新一による鑑定の結果、血液一ミリリットルにつき約2.0ミリグラムのアルコールの含有が認められた。

(四) 渡辺豊巡査部長は、本件事故現場を検分した際、当初は、本件事故車両の前記停止位置から単純に推測して、松岡車が八幡浜方面行車線を、久保田車が大洲方面行車線をそれぞれ走行していたものと即断し、久保田車が道路中央線を越えて八幡浜方面行車線に進入したため松岡車と衝突し本件事故を発生させたものと判断した。そして、事故当日早朝ころ、渡辺巡査部長は、右判断のもとに、松岡車の同乗者素子の夫日野慎一に対し、松岡車を被害車両とする内容の事故証明書を交付し、事故翌日の新聞にも同旨の内容の記事が掲載、報道された。しかし、その後、一色光警部補らによる現場における物的証拠の収集とその解析が進行する過程で、渡辺巡査部長を含め捜査を担当した警察官において、当初の判断とは異り、松岡車が八幡浜方面から大洲方面に走行してきて中央線を越え、久保田車に正面衝突して本件事故が発生したとの判断に達し、事故翌日ころ右日野慎一に対し事故証明書の訂正が申し入れられ、翌々日の新聞には前日の記事とは真反対の内容の記事が掲載、報道されるに至つた。

3本件事故現場の状況

前掲証人渡辺豊、同一色光、同矢野重徳の各証言、司法警察員渡辺豊作成の実況見分調書並びに司法警察員一色光作成の「交通事故車両鑑識結果報告書」と題する書面(以下「一色鑑識結果報告書」という。)、大洲警察署長作成の鑑定嘱託書(鑑第二七一号)の写し及びこれに基づく愛媛県警察本部刑事部鑑識課長作成の鑑定結果報告書(鑑第一一四七号)、八幡浜地方局長作成の「国道一九七号線大洲市平野町野田地先の勾配等について(回答)」と題する書面、鑑定人江守一郎作成の鑑定書(以下、「江守鑑定書」という。)を総合すれば、以下の事実が認められる。

(一) 本件事故現場は、大洲市平野町野田所在の、大洲方面から八幡浜方面へ通じる国道一九七号線上であり、同国道「夜昼トンネル」の大洲側出入口から約二三〇メートル程大洲方面に寄つた地点である。道路東側は山、西側は谷間となつており、非市街地区域で付近に人家はない。道路は、幅員約11.60メートルの平たんな舗装道路で西側にガードレールが設置されており、両側を白線の外側線で仕切られた車線部分のみの幅員が約7.20メートルで、白色破線の中心線により大洲方面行と八幡浜方面行の二車線に区分されている。現場道路は、八幡浜方面から大洲方面に向けてゆるく左にカーブしており(道路中央線の曲率半径が三〇〇メートル、カーブの折れ角が32.35度)、約五パーセントの下り勾配となつている。

事故当時、天候は晴で、路面は乾燥しており、現場の見通しは良いが、深夜のため暗かつた。なお、現場道路の交通規制はなされていない。

(二) 松岡車及び久保田車の本件事故直後の停止位置は、前記2の(一)のとおりであり、松岡車は左後部を八幡浜方面行車線外側のガードレールの上に乗せたまま、前部を道路に直角よりやや八幡浜方面に振つて停止しており、久保田車は大洲方面行車線をほぼ直角に塞ぐように、前部をやや八幡浜方面に振つて停止していた(以下、現場の位置関係については、江守鑑定書の添付図面である別紙図1参照)。

さらに詳述すれば、松岡車の左後部は、八幡浜方面行車線外側のガードレール(以下、ガードレールといえば同車線外側のそれを指す。)の八幡浜側南端から数えて一六番目の支柱に乗つており、左後輪後部をガードレールにほぼ接触させ、左前輪を道路東側外側線上に着け、さらに、右前ドアを大きく前方に押し開いた状態のまま停止していた(実況見分調書添付写真番号一二、二一参照)。

また、久保田車は、左前輪を道路中央線上に着け、右後部端をほぼ道路西側の外側線付近に置いて停止していた(前記写真番号一八、二二参照)。

(三) 現場道路に残された痕跡としては、まず、八幡浜方面行車線上に存在した二条の長いタイヤ痕(東側の一条の長さ約53.80メートル、西側の一条の長さ約四六メートル)があげられる。このタイヤ痕は、事故直後現場を検分した渡辺豊巡査部長により、印象されて間のないものと識別されており、本件事故車両のいずれかによりつけられたものと判断される。さらに、右タイヤ痕は、急制動をかけてタイヤがロックされたまま路面を滑ることにより印象される線状の痕跡(スリップ痕)とは明らかに外観が異なり、進行方向に向けて斜めにタイヤの線が入つたものであり、タイヤ表面のトレッドパターンが進行方向に向け次々と印象されて生じるコーナーリング痕と認められた。そして、右コーナーリング痕の終点付近から大洲方面に向かつて路面上に油の流出と擦過痕が認められ、久保田車前部の停止位置まで帯状に続いていた。

(四) 右コーナーリング痕の痕跡と路面上の油の流出及び擦過痕の位置、形状から推して、本件事故車両の衝突地点は、右コーナーリング痕の終点付近と認められ、その位置は、八幡浜方面行車線上の、前記道路外側のガードレールの南端から一二番目の支柱の前付近(別紙図1の印地点)である。

右衝突地点から松岡車の停止位置までの距離は約13.50メートルであり、同じく久保田車の停止位置までの距離は約16.70メートルである。

右衝突地点付近の路面上には、ガラスの破片等多数の飛散物の存在が認められたが、その種別、形状、飛散状態についての正確な資料収集はなされていない。

なお、右衝突地点の東側の路側帯上には、ガードレールの方向に向けて斜めに約1.3メートルの比較的新しいスリップ痕が存在した。

また、右衝突地点から約34.50メートル離れた道路東側路側帯上に血痕があり、本件事故直後、渡辺豊巡査部長が現場に駈けつけた際、矢野重徳消防士長からその位置に被告人が倒れていたと報告を受けている。

(五) つぎに、現場付近のガードレールの損傷、痕跡等をみると、道路東側ガードレールの八幡浜側南端から一二番目の支柱(以下、これをガードレール一二番支柱というように番号で表示する。)接合部には、大洲方面に向けて鉄板がめくれて破損した痕跡が存在した。

ガードレール一三番目支柱接合部には、自動車の泥除け破片が八幡浜方面から大洲方面に向けて突き刺さる状態で付着しており(一色鑑識報告書添付写真番号第八参照)、さらに、ガードレール一四番目支柱付近の道路東外側草地からは、同じく自動車の泥除け破片が発見された。これら二片の泥除け破片は、松岡車の右後輪部に残留した泥除け破片と完全に符合するもので、松岡車のものであると断定できた。

ガードレール一三番支柱と一四番支柱の間のガードレール鉄板には、幅約二メートルにわたり大きく外側に窪んだ凹型の痕跡が残つており、ガードレール一二番支柱接合部及び一四番支柱接合部からは自動車の塗膜片が採取された。これらの塗膜片は、愛媛県警察本部刑事部鑑識課による鑑定の結果、松岡車の右後部フェンダー部の凹損個所から採取した塗膜片と同種のものであることが判明した。

4本件事故車両の破損状況等

前掲証人一色光の証言、一色鑑識結果報告書、大洲警察署長作成の鑑定嘱託書(鑑第二七一号)の写し及びこれに基づく愛媛県警察本部刑事部鑑識課長作成の鑑定結果報告書(鑑第一一四七号)並びに大洲警察署長作成の鑑定嘱託書(鑑第二七一号の二号)の写し及びこれに基づく愛媛県警察本部刑事部鑑識課長作成の鑑定結果報告書(鑑第一一八八号)を総合すれば、以下の事実が認められる。

(一) まず、松岡車について考察するに、車体前部は、フロントフェンダー右前部からフロント右ドア取付部にかけて、原形をとどめない永久変形の凹損、屈曲を生じて大破しており、バンパー下端部に添つてほぼ水平に顕著な凹損が認められるが、左側の損傷は右側に比較すればやや軽微で、左前部前照灯は破損しながらもレンズは原形をとどめている。フロントガラスは完全に破壊され、脱落している。

右前輪は、ホイルベースの約三分の一が波形状に変形し、タイヤはパンクしている。

右前ドア(運転席ドア)は、外側に向かい「へ」の字型に大きく屈曲変形し、設計開度よりかなり大きく前方に押し開らかれ、そのためドアのヒンジ(蝶番)が破損している。右前ドア下のステップボード部は、シャーシー部から断裂され、ドア部と同様に外側に向かい「へ」の字型に変形している。

右前ドアの表面には、右斜め下同一方向に向かう無数の擦過痕がみられ、後述のとおり、これらの擦過痕と、久保田車の左ドア表面に残された擦過痕とが、部位、形状において極めてよく符合することが確認されている。

右後フェンダー部には、固形物に衝突したことを示す大きな凹損があり、その個所の塗膜が剥離している。

トランク右側部には、右上部から左下方部に向け、鋭利な刃物状の擦過、切断痕があり、その大きさは、横幅約一〇センチメートル、縦幅約一四センチメートルであつた。

右後輪泥除けは、概ね半分に破損されたまま着装されており、現場ガードレール一三番支柱の接合部及びガードレール一四番支柱外側付近の草地から発見された二片の泥除け片と右残留泥除け片が完全に一致したことは前述のとおりである。

車体右後部のリヤートランクに装備されている牽引用パネルは、原形を保つていたが、白色様塗膜片の付着が認められ、これと現場ガードレール表面部の塗膜片との同一性について鑑定した結果、同種と認められる旨の鑑定結果が得られている。

つぎに、左側ドア(助手席ドア)外張りは、大きく破れて変形し、ウインドガラスは割れ落ちて原形はない。

左前ドア内張りは、車体の内部に向けて「へ」の字型に屈曲変形している。

なお、後部ドアは、左右ともガラスの破損もなく、ほぼ原形を保つている。

フロントフェンダー部左側は、左前輪上部辺りがW字型に変形しているが、同部右側と比較するとその変形は少なく、ほぼ原形をとどめる形態にある。

左前輪は、破れを生じ、外側ショルダー部に白色塗膜様物質が擦過状に付着している。

左前輪とフロントフェンダー部の間から、マフラーが突出している。

左前ドアー下のステップボード取付部は、車体後方から前方に向け引き裂かれたように破裂し、破れた鉄片は前方にめくれて変形し、その破面は鋭利な刃物状を呈している。

左後輪は、内側ショルダー部及び接地部に白色塗膜様物質の付着がみられ、接地部からこれを採取して、現場ガードレールの表面部塗装片との同一性について鑑定を実施したが、右採取物質に塵埃等不純物が混入しており、その識別は困難であつた。

車体下部のスタビライザー左側は、U字型に変形し、右側スタビライザー及びテンションロッドも大きく変形し、右前輪にくい込んだ状態である。車体下部のトランスミッション部は、亀裂を生じ、シャーンーから落下し、ユニバーサルジョイントとプロペラシャフト取付部から約九〇度に屈曲している。

以上が、松岡車の外観検査の結果であるが、特異痕跡としては、最も顕著な破損個所である車体前面グリル部を精査すると、グリル格子状部が右斜方向に押しつぶされ、グリル直近に位置するナンバープレートがU字型に変形し、ナンバープレートに表示された文字のうち陸運事務所の所在地を示す「香」の字の緑色塗膜が数個所にわたり溶融した痕跡が認められた。

(二) つぎに、久保田車について考察するに、車体前部のフロントフェンダー部は、フェンダー部、エンジン部全体が前面から圧縮された状想に破壊、変形し、フロントフェンダー部右側は脱落し、原形をとどめない。

ボンネットは、めくれ上がるように浮上し、フロントウインドガラスは、完全に破壊、脱落している。

前照灯は、左右とも完全に破損しているが、左側前照灯にはレンズ破片が残留付着している。

右前輪は、ホイルの前進方向部が波型状に屈曲し、車軸が後退しているため、右ドアー下のステップボードがタイヤに突き刺り、可動しない状態である。

右ドア(運転者席ドア)は、ガラスの破損もなくほぼ原形をとどめているが、前方から後方に押された状態の歪みが生じ、ドアの開閉は可能であるが、ロックをすることはできない。

右後フェンダー部及び左後フェンダー部には、共に車体内側に凹型にやや大きく窪んだ痕跡が存在し、その形状、発生個所がいずれも相似していて、各表面には衝突痕、塗膜片その他の付着物は認められなかつた。

左ドア(助手席ドア)は、ガラスの破損はなく、開閉も可能であるが、右ドアと同じく、前方から後方に押された状態の歪みが生じている。

左ドア表面層には、左斜め下同一方向に向かい、無数の擦過痕が生じているが、重合法写真による照合の結果、前記松岡車の右ドア表面層にみられる擦過痕と、その形状、部位において極めてよく符合していることが確認された。

車体下部のトランスミッション部は、亀裂を生じ、ユニバーサルジョイントとプロペラシャフト取付部は下がりを見せている。プロペラシャフトは、車両左側に向かつて撓みを生じている。

以上が、久保田車の外観検査の結果であるが、特異痕跡としては、最も顕著な破損個所である車両前面部を精査したところ、グリル部が真後に押しつぶされており、さらに、右前照灯下付近のフロントバンパーの上に溶融した緑色塗膜が付着しているのが確認された。そして、久保田車のフロントバンパー上に付着した右緑色塗膜痕と松岡車のナンバープレートの緑色塗膜の前記溶融痕とを照合すると、両者はほぼ完全に符合することが確認されている。

5本件事故車両の乗務員の負傷状況

医師鎌田玄作成の死体検案書二通、司法警察員作成の死体検分調書二通、医師菅原康雄作成の診断書、検察官作成の「患者の症状等についての照会」と題する書面、医師本条征史作成の診断書、大洲中央病院の診療録(久保田芳夫のもの)写し、同(久保田望のもの)写し、同(被告人のもの)写し、並びに前記1の認定事実を総合すれば、以下の事実が認められる。

(一) 松岡車の乗務員は、運転者被告人(当二七年)と助手席同乗者素子(当三二年)の二名であり、被告人は、全身打撲、左大腿骨末端部、左膝蓋骨、両側距骨、右径骨内果部各骨折、頭部、顔面、左膝部各挫創、左上肢、右膝部擦過創、頭部外傷Ⅱ型、右動脈神経不全麻痺の傷害を負い、素子は、強度の胸部打撲に基づく内臓破裂により即死しているが、その他に顔面切創、左右肩胛骨部、左右乳部、へそ上部各擦過傷、両足すね部各骨折の傷害を負つている。

(二) 久保田車の乗務員は、運転者暁子(当二八年)と助手席同乗者久保田芳夫(当二七年)、後部右側座席同乗者久保田望(当四年)、同左側座席同乗者久保田征史の四名であり、暁子は、頸椎骨折により即死しているが、その他に左大腿骨骨折、下口唇割創、胸中央部、右足裏部各皮下出血、左右足すね部各切創、右指部、右腕肘部、左腕部各擦過痕の傷害を負つている。久保田芳夫は、全身打撲、右前額部打撲、前頭骨陥没骨折、顔面広汎打撲挫滅創、左側眼球破裂、右側角膜及び眼球結膜損傷、右手背挫創、右下肢打撲擦過傷、左下肢打撲挫創、第五腰椎横字起骨折、恥骨結合離開、陰嚢打撲、右坐骨骨折の傷害を負い、久保田望は、全身打撲、脳挫傷、右前額部打撲挫創及び帽状腱膜下血腫、下顎部打撲擦過傷、右側頸部打撲症、右手擦過及び切創、左下肢打撲傷、右下肢静脈炎の傷害を負つている。

6本件事故車両の進行方向についての判断

本件事故は、深夜、人里離れた道路上で発生したため、目撃証人が一名も得られておらず、当初から、本件事故車両の衝突態様、ことに本件事故車両の進行方向、すなわち、そのいずれが八幡浜方面から大洲方面に、あるいは、大洲方面から八幡浜方面に進行していたのかが最大の争点となつた。

ところで、後述のとおり、本件事故の生存当事者である被告人及び久保田芳夫の両名の供述は得られているが、両名共に主観的になりがちな当事者の立場にあるもので、かつ、いずれも事故により頭部外傷を含む重傷を負つており、かかる事情からして、右両名の供述に高い信憑性を与えることは危険であるといわなければならない。

したがつて、本件事故の態様についての判断は、あくまで現場に残された痕跡、遺留物、本件事故車両の停止位置、破損状況、車両乗務員の負傷の部位、程度等、物的証拠に基づき、自動車事故工学ないしは一般力学の科学的解析方法を用いてなされるべきである。

そこで、右の見地から、前記2ないし5において認定した事実並びに一色鑑識結果報告書、鑑定人江守一郎作成の鑑定書及び同補充書、同人に対する当裁判所の昭和五八年一月七日付及び昭和五八年九月二二日付各尋問調書(以上の鑑定人江守一郎の鑑定結果及び証言を、以下「江守鑑定」と総称する。)に基づき、以下、本件事故の態様、ことに、本件事故車両の進行方向についての検討を進めることとする。

(一)  まず、本件事故車両の破損状況、ことに、松岡車、久保田車共に車体前部が大破していることからみて、両車両がそれぞれ反対方向から進行して来て正面衝突したことは明白であり、松岡車の前部ナンバープレートの文字塗料膜が溶融して久保田車の右前照灯下付近のフロントバンパーに付着していることは、これを裏付けるのに十分である。

そして、右松岡車のナンバープレート塗料膜溶融痕の久保田車バンパーへの付着位置のほか、松岡車の前部破損状況(右側の損傷が左側の損傷に比較して重大であること。)から、正面衝突の際、久保田車は松岡車の進行方向から見てやや右側にずれていたことが判かる。(一色鑑識結果報告書によれば、松岡車のナンバープレート塗料膜溶融痕が久保田車バンパーへ付着している位置を計測した結果、本件事故車両の衝突の際の中心線の差は、約五四センチメートルと認められる。)

(二)  つぎに、松岡車が左後部を八幡浜方面行車線側のガードレールに乗せたまま前部を道路に直角よりやや八幡浜方面に振つて停止し、久保田車が大洲方面行車線上にほぼ直角に塞ぐように前部をやや八幡浜方面に振つて停止していたことは動かせない事実である。

そして、前述のとおり正面衝突したとみなされる本件事故車両のいずれもが、衝突後単に前進ないし後退という直線方向での運動をしたのであれば、右停止位置ないし停止角度はこれを説明することができず、本件事故車両の双方が程度の差こそあれ、衝突により何らかの回転運動を起こして最終的に右停止位置にそれぞれ停止したものと理解される。

したがつて、現場に残された物的証拠から、本件事故車両の衝突地点と、衝突地点から右停止位置までの各車両の運動の軌跡(ことに、各車両の回転運動の態様)が解明されなければならない。

(三) そこで、まず、本件事故車両の衝突地点の解明であるが、この点については、前記3の(三)で認定判断したとおり、現場に残されたコーナーリング痕の痕跡と路面上の油の流出及び擦過痕の位置、形状から推して、右コーナーーリング痕の終点付近(別紙図1の印地点)が本件事故車両の衝突地点と認められる。

もつとも、右衝突地点の認定については、コーナーリング痕についての接写写真が得られておれば、あるいは、路上に印象されたタイヤ表面のトレッドパターンが判明し、それから車両の特定が導き出された可能性があり、また、現場の破損ガラス片その他の飛散物についての正確な資料収集がなされていれば、より確定的に本件事故車両の衝突地点の認定ができたものと思料されるところ、本件捜査において右資料収集がいずれもなされていないのは遺憾であるといわなければならない。

しかしながら、右各資料を欠いても前述の道路上の痕跡から衝突地点の推認は可能であり、さらに、前記認定にかかる衝突地点を前提に本件事故の再現が無理なく説明できた場合、より高度に衝突地点の確定が可能となるというべきである。

そして、つぎに、本件事故車両の衝突後の運動の軌跡を解明しなければならないが、ここでは、まず、本件事故車両の破損状況ないし特異痕跡から各車両の衝突後の回転運動の可能性とその程度(回転エネルギーの力量)について推察する。

松岡車の破損状況で注目すべきは、大破した前部は右側ほど破損が重大であり、衝突部位に左右の片寄りがあることが知れることと、右側ドア及び右前ドア下のステップボード部がいずれも外側に向かい「へ」の字に変形し、左前ドアが内側に向かい「へ」の字に変形しており、車体全体としては「」の型に変形、屈曲していることである。

右事実から、松岡車は、本件事故車両双方の衝突により、前方から自車の車体前部に左右の均衡を欠く強い衝撃を受け(このことは、車体の回転運動を起こし易い要因となる。)その結果、回転の方向は別として(この点は、後で考察する。)、衝突後同車にかなり強い回転エネルギーが働らいて車体の回転運動を開始したことが理解できる。

一方、久保田車の破損状況で注目すべきは、大破した前部を含め車体の破損状況において左右の不均衡が余りみられないことである。ことに、後部フェンダー部には左右とも対照的に車体内部にほぼ相似形の凹損が認められ、これからみて、久保田車には松岡車との衝突により前方から自車前部に左右のほぼ均衡のとれた強い衝撃が加わつたことが理解できる。したがつて、力学上、久保田車の回転エネルギーは少なく、衝突後それほど強い回転運動を起こすことなく前方あるいは後方へ運動して停止位置に至つたことが判かる。

つぎに、松岡車の衝突後の回転運動の方向についての考察を進めるが、ここにおいて重要な資料は、松岡車の車体及び現場ガードレールに残された痕跡と現場付近から採取された遺留物品等の物的証拠である。

まず、ガードレール一二番支柱と同一四番支柱から採取された塗膜片と松岡車の右後部フェンダー部凹損個所から採取された塗膜片とが、鑑定の結果、同種のものと認められたこと、松岡車の右後部牽引用パネルから採取した白色層塗膜片とガードレール表面層から採取された塗膜片が同様に同種のものと認められたことは、松岡車の後部がガードレールに接触した事実を証明するものである。さらに、松岡車の右後輪泥除けの破片がガードレール一三番支柱接合部に八幡浜方面から大洲方面に向けて突き刺る状態で付着し、ガードレール一四番目支柱付近の道路東外側草地に同じ泥除けの別の破片が落下しており、ガードレール一六番支柱付近に停止した松岡車には右両破片の引き千切られた残りの右後輪泥除けが装着したままになつていたことは、とりもなおさず、松岡車の車体右後部が、八幡浜方面から大洲方面に向けてガードレール一三番支柱接合部に接触し、続いて同一方向、すなわち、八幡浜方面から大洲方面への運動を継続して停止位置に至つたことを明白に示すものである。

そうすると、松岡車の後部車体の右一連の運動軌跡を、衝突地点を前記ガードレール一二番支柱前付近の八幡浜方面行車線上としたうえ、現場道路上に再現してみるだけで、すでに、松岡車は八幡浜方面から大洲方面に向けて進行して来て、衝突後、後部を大きく右に振つて回転運動を開始し、自車右後部をガードレールに接触させつつ停止位置に至つたことが理解できる。

もつとも、松岡車が現場ガードレールに接触したのは紛れもない事実であり、同車両の回転運動の方向については、久保田車との最初の衝突以外に、その後のガードレールないしは久保田車との衝突により回転運動の方向が転換した可能性も考慮に入れなければならないが、前記進行方向とは反対に、松岡車が八幡浜方面行車線を大洲方面から進行し、前記衝突地点で八幡浜方面から進行して来た久保田車と衝突したと仮定した場合、松岡車の右後輪泥除け破片の遺留状況から知れる同車後部車体の運動の軌跡を説明するには、松岡車が衝突後、その場で独楽の如く左廻りに一回転して右後部をガードレールに接触させたか、あるいは、衝突後、一旦、後部を左に振つて右回転を開始し、ガードレールに左後部を衝突させて回転方向を転換して、今度は後部を右に振り左回転しながら停止位置に至つた場合を想定しなければならない。

しかしながら、松岡車が大洲方面から進行して来て衝突地点のその場で独楽の如く一回転することは、正面衝突の本件では到底考えられず、また、一旦、右回転を開始した後、ガードレールに衝突して左回転に転じたとする想定も、松岡車の左後部車体にガードレールとの強い衝突を物語る損傷がみられないことからして、採り得ないところである。(ガードレールには、一三番支柱と一四番支柱の間の鉄板に大きい凹損があり、松岡車の後部がこの個所に接触したことが窺えるが、その際、松岡車の車体が右回転から左回転に転じたと仮定しても、その個所より八幡浜方面寄りのガードレール一三番支柱接合部に松岡車の右後輪泥除けの破片が八幡浜方面から大洲方面に向けて突き刺つていた事実を説明することができない。)

以上より、松岡車は、八幡浜方面行車線上を八幡浜方面から大洲方面に向けて進行して来て、前記衝突地点で久保田車と衝突し、衝突後、後部を大きく右に振つて左回転を開始し、車体後部をガードレールに接触させて八幡浜方面から大洲方面に向けて運動させ、停止位置に至つたものと推認される。

続いて、久保田車の衝突後の運動の軌跡であるが、車体の破損状況からみて同車の回転エネルギーは少なく、衝突後それほど強い回転運動を起こすことなく前方あるいは後方へ運動して停止位置に至つたと推定されることは前述のとおりであり、前記衝突地点付近から久保田車前部の停止位置に至るまで帯状に油の流出と擦過痕が存続したことを併せ考えると、久保田車は、前記衝突地点で松岡車と正面衝突し、前部をやや左に振りつつ後退して、停止位置に至つたものと推認される。

(四) ところで、以上のように、松岡車が八幡浜方面から進行して来て、大洲方面から進行して来た久保田車と前記衝突地点で正面衝突したものと推認した場合、生起する疑問点はつぎのとおりである。

(1) 松岡車が久保田車と正面衝突した際、久保田車は松岡車から見てやや右側にずれていたことが判明しているが、このような場合、松岡車の前方から加わる衝撃力は同車の重心を右に外れ、物件の運動法則からすれば、松岡車、久保田車ともに右回転を起こさなければならないのではないか。

(2)  松岡車が衝突後、後部を大きく右に振つて左回転をしたとするならば、車体右後部をガードレールに衝突(二次衝突)させ、これにより同車の回転運動は逆転したはずではないか。また、松岡車は、左後部をガードレールに乗り上げて停止しているが、これは同車が後部を左に振り右回転して左後部をガードレールに乗り上げさせたことを示すものではないか。(もし、車体後部を右に振つて左回転したとすれば、右後部をガードレールに乗り上げて停止しているはずではないか。)

以上の疑問点を解消させる「鍵」は、現場道路に残された二条の長いコーナーリング痕である。

すなわち、現場道路には、八幡浜方面行車線上に約五〇メートルの長さの二条のコーナーリング痕が八幡浜方面から大洲方面に向け、衝突地点と認められる地点まで続いており、このコーナーリング痕が、本件事故車両のいずれかによりつけられたものとみられることは前述のとおりであるが、すでに解明した車両の進行方向から推して、松岡車により現場道路に印象された痕跡と認められる。

コーナーリング痕は、走行中の自動車運転者がハンドルを急に右または左に切つた場合、進行方向に前進する慣性から車体の重心が旋回の外側に移動して車体が遠心力により外側に強く押される状態となり、この場合、車輪は回転しているが、外側の車輪に荷重が強くかかるため、その車輪のタイヤと路面との間に強い摩擦抵抗が生じて、その結果、路面上に印象されるタイヤ痕である。

本件の場合、現場道路の状況とコーナーリング痕の長さ、形状からして、松岡車は、現場左カーブの道路を八幡浜方面から大洲方面に向け直進して来て反対車線の八幡浜方面行車線に進入し、急にハンドルを左に切つたため、車体を右側に傾けたままかなりの高速度で横すべり状態となつてコーナーリング痕上を大洲方面に向け進行し、対向して来た久保田車と衝突したものとみられる。したがつて、松岡車の車体は遠心力により道路外側に飛び出そうとし、この力を自由回転する車輪のタイヤと路面の摩擦力が阻止する関係に作用して横すべり状態で走行を続けたと認められる。この場合、松岡車は、当然に右前後輪の荷重が増し、左前後輪は浮き上がり気味になつており、このことから、現場に残された二条のコーナーリング痕は、松岡車の右前輪と右後輪のタイヤにより印象されたものであることが判かる。そして、江守鑑定によれば、松岡車のホイルベースと二条のコーナーリング痕の計測(この点、司法警察員渡辺豊作成の実況見分調書では、二条のコーナーリング痕の幅についての計測がなされておらず、江守鑑定により実況見分調書添付の写真からその幅の長さが計測されている。)から、久保田車との衝突時における松岡車の横すべり角(重心の進行方向に対する車両の姿勢角)は、約三〇度であることが求められる。

しかして、以上の松岡車の衝突の横すべり状態を前提にすれば、松岡車が重心の右側に衝撃を受けながらも、車体後部を右に振つて左回転運動を起こしたこと、久保田車が松岡車と前部をやや右にずらせた状態で衝突しながらも、強い回転運動を起こさなかつたこと(横すべり状態となつた松岡車の車体の角度は前部を左斜めに傾けながらも、重心の進行方向は道路とほぼ並行しており、同車の右前部角が久保田車のほぼ中心線上に衝突し、そのため久保田車の前部には左右のほぼ均衡のとれた衝撃力が加わつたものと理解できる。)、さらに、松岡車が衝突後、車体後部を右に振つて左回転し、ガードレールに衝突しているが、その際、右後部ではなく左後部をガードレールの上に乗り上げていること(松岡車は、外側に飛び出そうとする遠心力を内在したまま車体左側を浮き上がらせた格好で前部を久保田車に衝突させたため、衝突後、車体後部を右に振ると同時に左後部を地上より高く浮き上がらせて左回転運動をし、左後部をガードレールに乗り上げたままガードレールを滑走して停止位置に至つたものと理解できる。)となり、前記各疑問点は、いずれも無理なく説明が可能となるのである。

(五)  最後に、現場に残された物的証拠のうち、松岡車が八幡浜方面から、久保田車が大洲方面から進行して来たとする右判断と相矛盾するか、あるいは説明不能なものが存在すれば、右判断は根本的に再検討を迫られることになるので、以下その存否について検討する。

まず、ガードレール一二番支柱前付近の路側帯上に存在した斜め約1.3メートルの比較的新しいスリップ痕については、その位置、形状からして、松岡車が衝突後左回転運動を起こして後部車体をガードレールに接触させる際、同車の右後輪より印象された可能性があり、前記車両の進行方向についての認定判断を否定する資料とはなり得ない。

つぎに、松岡車の右前ドア(運転席ドア)がヒンジを壊す程に押し広げられて停止していたのは、松岡車を運転していた被告人が衝突の衝撃で右前方方向に飛び出す際、車内内側から右前ドアに衝突して押し広げたものと説明することが可能である。(なお、江守鑑定書二六頁では、松岡車の右側ドアが外側に「へ」の字に曲損しているのも、被告人の体の衝突によるものとしているが、同車の右前ドア下のステップボード部も同様に「へ」の字に曲損しており、このことから右両曲損は、いずれも同一の衝撃力、すなわち最も可能性が高いのは久保田車との第一次衝突により生じたものとみられる。)また、松岡車の右前ドア表面の擦過痕と久保田車の左ドア表面の擦過痕が部位、形状において符合したのは、松岡車が衝突後左回転運動を起こした際、右の事情で同車右前ドアが大きく押し広げられ、同ドア表面が、衝突後に後退運動を起こして移動しつつあつた久保田車の左ドア表面に接触して生じたものと理解できる。

さらに、車両乗務員の事故後の位置、負傷の部位、程度も、事故の再現を考慮するうえで有力な資料となるが、この点についても、前記認定判断と相矛盾する資料は本件において得られていない。(この点、司法警察員渡辺豊作成の実況見分調書において、事故直後の車両乗務員の位置、態様が明確に特定されていないのは遺憾であるが、被告人の前記転倒位置を現場に残された血痕、被告人の負傷状況から推して、衝突直後の飛翔位置とみた場合でも、江守鑑定書によれば、衝突エネルギーから物理的に計算してその位置の説明が可能としている。但し、右実況見分調書見取図面の被告人の転倒位置と目される過所に頭部を八幡浜方面に向けて人体図が記載されているのは、正確な記載といえるかどうか疑問であり、同図面の女性二名の死体の位置は事故後に救護にあつた消防署員により移動させられたもので、衝突直後の位置ではない。)

以上のほか、前記車両の進行方向についての認定判断と矛盾するか、あるいは説明不能な物的証拠は発見されていない。

(六)  以上の次第から、本件事故車両の衝突態様及び進行方向については、松岡車が八幡浜方面から大洲方面に向け八幡浜方面行車線を進行して来て、同車線を対向して来た久保田車と衝突したものと判断するものである。(右判断と推論及び結論を同じくする江守鑑定の結果は、十分信用できるものであり、本件事故車両の衝突の態様及び衝突後の運動の軌跡については、同鑑定書添付図面である別紙図1及び図2を参照。但し、別紙図2の松岡車の運動については、ガードレールへの衝突ないし接触を度外視した場合の想定図であることに注意。)

(七)  柴田鑑定についての検討

鑑定人柴田俊忍作成の鑑定結果報告書及び同人に対する当裁判所の尋問調書(以下、「柴田鑑定」と総称する。)によれば、本件事故車両の進行方向について、以上の判断とは異なり、柴田鑑定人は、松岡車が大洲方面から、久保田車が八幡浜方面から、それぞれ進行して来て衝突したものであると結論づけているので、以下右鑑定について検討を加える。

まず、柴田鑑定は、本件事故車両の衝突地点を前記認定の衝突地点と同じ地点としたうえ、松岡車が八幡浜方面から、久保田車が大洲方面から、それぞれ進行して来たとした場合、つぎの矛盾点が生じると指摘する。

(1) 現場道路に残されたコーナーリング痕が衝突地点付近では路側帯の白線に沿つて続いており、このことから松岡車はほぼ道路に並行して走行していたものとみられるが、そうすると、松岡車が衝突の際、道路外側から中央部に向けて斜めの角度をもつて衝突している点が、同車が余程のジグザグ運転をしていたとでもしない限り、説明できない。

(2) 松岡車が道路外側から中央部に向けて斜めの角度をもつて衝突し、かつ、衝突部位が同車の右前部であることからすれば、物体の運転法則上、同車は右回転するはずであり、そうすると、同車の停止位置は実際の停止位置と異なつたものとならざるを得ず、説明がつかない。

もし、仮に松岡車が右の状態で衝突しながら左回転したとすれば、つぎの場合が想定される。

(イ) 車両の速度方向が道路と並行で、車両の進行方向とは異なつている場合。この場合は、明らかに車両が傾いた状況でスリップしている場合である。

(ロ) 車両の進行方向は車両の向きと同一であるが重心が衝突の部位より右側にある場合。

しかし、(イ)の場合であれば、コーナーリング痕は現場に残されたものより幅広くなるであろうと考えられ、また、前後輪のスリップ痕が生じると思われるが、そのような痕跡が発見されていない。

(ロ)の場合は一般に起こり得ず、仮に生じたとすれば左輪が浮いて右車輪のみに重心がかかつている場合である。そのような場合は、非常に大きく左に急ハンドルを切つたような場合であるが、道路の外側からそのような状態で道路中央部に向けて進入することは不可能である。なぜならば、そのような状態で道路外側から中央部に向けて進入するとすれば、衝突以前に松岡車の車体右側がガードレールに激突しているはずだからである。

そこで、右の各点について検討するに、まず、(1)の点で、柴田鑑定は、本件現場に残されたコーナーリング痕が衝突地点付近で路側帯の白線に沿つて続いていることから、直ちに松岡車が車体の角度それ自体をほぼ道路に平行して走行していたものと速断して同車の衝突角度を問題としているが、コーナーリング痕は、前述のとおり、走行中の車両がカーブにおいてハンドルを急に切つた場合車両が横すべりの状態となつて自由回転する外側車輪によつて印象されるタイヤ痕であり、本件のコーナーリング痕は、松岡車が車体を右側に傾けたまま横すべり状態となり走行する過程で、同車の右前輪と右後輪により印象されたものとみられる。そうすると、松岡車は、車体前部を左斜めに振つた状態になりながらも、横すべり状態となつてコーナーリング痕上をほぼ道路に並行して進行したものであつて、本件コーナーリング痕の形状と松岡車の衝突角度は矛盾なく説明することが可能であり、右柴田鑑定は、コーナーリング痕が道路上に印象される場合の車両の運動に関する基本的理解を欠いた推理をしていると断ぜざるを得ない。

この点、渡辺豊巡査部長の作成した実況見分調書添付の交通事故現場見取図には、現場の二条のコーナーリング痕が松岡車の左右両側の各前輪により印象されたとする記載がなされているところ、柴田鑑定がコーナーリング痕の印象について右実況見分調書添付図面の記載をそのまま無批判に踏襲したのであれば、鑑定人として科学的再吟味を怠つたとの批判を免れないことになる。

なお、柴田鑑定は、松岡車の衝突角度を道路直進方向から約一三度左に傾斜したものとしているが、これは一色鑑識結果報告書の添付図面から机上の測定で導き出した数値で、自ら物的証拠に基づき算定したものではなく、この点については、前述の江守鑑定による松岡車の横すべり角(重心の進行方向に対する車両の姿勢角。但し、本件の場合、松岡車の重心の進行方向はコーナーリング痕の形状からみて道路とほぼ並行していると判断されるから、同車の衝突角度と横すべり角とほぼ一致することになる。)が約三〇度とする数値の方が、客観的根拠を有する数値として信用に値する。

つぎに、(2)の点については、松岡車が車体右前部に片寄つた衝撃力を受けながら、なぜ右回転を起こさず、逆に左回転の運動をしたかは、前記(四)において詳述したとおりであり、ここでも、柴田鑑定が現場に残されたコーナーリング痕についての正確な分析を欠いている点を指摘できる。また、柴田鑑定は、松岡車が衝突後左回転を起こした場合として、車両が右側に傾いた状態で進行して来た場合を一応想定しながら、現場に残されたタイヤ痕の形状から右想定を否定するが、前述のとおり、本件の二条のコーナーリング痕は車体を右側に傾かせ横すべり状態となつて進行した松岡車の右前輪と右後輪により現場道路に印象されたものと理解すれば、その幅、形状において矛盾する点はなく、柴田鑑定の右想定を否定すべき理由はない。

さらに、柴田鑑定は、松岡車が左車輪を浮かせ右車輪に重心がかかつた状態で進行したとした場合、衝突の際の同車の角度からして、衝突前に同車の車体右側がガードレールに衝突しているはずであるというが、松岡車の衝突角度はあくまで衝突の際の車体の角度で同車の進行方向ではない(同車の進行方向は、同車の重心の進行方向、すなわち前述のとおり、道路にほぼ並行した方向である。)ことに注意しなければならない。

一般に、車両が曲進する場合、道路外に飛び出すか否かは、車両に働く遠心力と車輪タイヤと路面との摩擦力の力の均衝によつて決定されるが、本件の場合、コーナーリング痕の形状からみて、松岡車は横すべり状態になりながらも荷重の加わった外側車輪(右側前後輪)がスリップすることなく自由回転を続けたため、その分外側に飛び出そうとする遠心力が軽減され、右側前後輪タイヤと路面との摩擦力が遠心力を上廻つた結果、道路外に飛び出すことなくコーナーリング痕上を進行したものと考察される。

柴田鑑定は、この点、十分な根拠を示すことなく、松岡車の車体右側がガードレールに衝突したはずだというが、力学的分析方法に基づいた科学的鑑定結果というには程遠い推論であり、首肯できない。

つぎに、柴田鑑定は、本件事故車両が衝突後いずれも右回転運動をしたとの前提に立ち、松岡車が大洲方面から、久保田車が八幡浜方面から、それぞれ進行して来て衝突したとして、衝突地点から両車両の停止位置までの運動の軌跡を解析しているが、その内容はほぼ別紙図3(江守鑑定書添付図面14)に示すとおりである。

そこで、柴田鑑定の車両運動について検討するに、松岡車が久保田車と衝突後一旦右回転しながら車体後部をガードレールに二次衝突させて左回転に転じたとしているが、これでは、松岡車の左後部にガードレールと衝突したことを窺わせるに足りる損傷がないこと、松岡車の後部が接触したとみられるガードレールの凹損個所の手前のガードレールに八幡浜方面から大洲方面に向けて同車の後部が接触したとみられる痕跡(一二番支柱のめくれ痕及び一三番支柱の泥除け破片の残留)があることの説明ができない。

また、車両運動の途中で松岡車の車体右側と久保田車の車体左側が接触し、これにより松岡車は左回転から右回転に転じてガードレールに左後部を乗り上げ、久保田車は右回転から左回転に転じて後部を右に振つて停止位置に停つたとしているが、両車両がそれぞれの回転運動を逆転させる程の力(しかも、松岡車はその反転力によりガードレールに乗り上げる程の力)で衝突しながら、松岡車の右前ドアと久保田車左ドアに擦過痕程度の損傷しか生じていないのは、全く説明の余地がないといわざるを得ない。

以上から、本件事故車両の進行方向ないし衝突態様についての柴田鑑定の結果は、到底採用することができない。

(八) 事故関係者の供述の検討

本件事故の関係者のうち、松岡車の同乗者日野素子と久保田車の運転者久保田暁子は即死しており、久保田車の同乗者のうち久保田芳夫を除く二名は年少者であるため、関係者の供述としては、被告人と久保田芳夫の二名の供述が得られているだけである。

右両名は、いずれも本件事故により頭部外傷を含む重傷を負つており、かつ、当事者的立場にあるため、本件では物的証拠に依拠して事故車両の衝突態様を検討したが、ここで、念のため、両名の供述につき検討を加えておくこととする。

久保田芳夫は、第六回公判期日(昭和五四年九月二五日)において証人として、事故当日は午前一時三〇分ころ自宅を出発し、妻暁子の運転する久保田車の助手席に同乗して約二〇分位国道一九七号線を大洲方面から八幡浜方面に向け走行したところ事故に遭つた、助手席のシートを倒して、後部座席の子供二人と尻取りをしていると、突然、妻が「アレ、アレ」と声を発つしたので、体を起こすと、白い車が眼前に見え、突嗟にハンドルに手をかけたが、その瞬間衝突し意識を失つた、旨供述しており、右供述は、本件事故車両の進行についての当裁判所の前記認定判断と矛盾するものではない。

同人は、さらに、相手車両の進行状況について、真正面から正面を向いて衝突して来たと述べ、一方では、歪んだ状態で、緩いカーブの所をふくらんで来たような気がする旨述べているが、前記供述内容からしても同人が衝突直前の相手車の動静についてどれほど正確に観察し得たかは大いに疑問の生じるところであり、右各供述に信用性を認めることはできない。

一方、被告人は、昭和五一年八月一三日付の司法警察員に対する供述調書においては、事故当日夜永井とスナックに行つたように思うが、何時ごろ、何処へ何をしに松岡車に乗つたのか、本件交通事故の時の状況については全然思い出せない、ただ、事故後救急車に乗せられるとき何か顔にかぶせられるようで首の付近が痛んだのと、病院で「痛い、痛い」と言つていたのを覚えている旨供述していた。

ところが事故後約一〇か月を経たころの昭和五二年五月九日付の検察官に対する供述調書においては、松岡車の進行方向について、事故当夜、素子から、何処かドライブに連れて行つて、といわれてやむを得ず、大洲方面にでもドライブする気になり、同女を助手席に乗せ松岡車を運転して国道一九七号線を走つた、深夜で交通量はほとんどなく、それでも千丈の歩道橋のある辺りではよくスピード違反の取締をしているので用心し、時速四〇キロ位で走つたのを覚えている、やがて人家も切れ、登り勾配になつてからはスピードも出たが、しかし、カーブも多い所なので無茶苦茶にスピードを出せる所ではない、途中、日野さん(素子)とはとりとめのない雑談をしていた、昭和四九年か昭和五〇年の二月ころ夜昼トンネルを八幡浜方面に抜けたとき道路が凍結していて困つたことがあつたのでその話をした記憶がある、こんな時間にドライブをすると帰りが遅くなり翌日の仕事にさしつかえるのでこのまま五十崎町の工事事務所まで行き、そこで一泊して朝帰つて来るのがよいのではないかとも考えそれも日野さんに話した、その結果ようやく日野さんを説得して夜昼トンネルを越えた所でUターンして八幡浜へ引き返すことになつた、夜昼トンネルを抜けた付近では時速約五〇キロで走つたと覚えている、Uターンした所は、夜昼トンネルを出て大洲側へ入り、六〇〇メートルか七〇〇メートル行くと平仮名の屋号で喫茶店があるがその辺りでUターンした、この記憶は、ギブスをはずすころに思い出したので昭和五一年秋のことである、従つて正面衝突した時は、私の車が大洲方面から夜昼トンネルに向けて走つていたはずである旨供述するに至り、衝突の際の状況は全く記憶がなく、衝突寸前のことも覚えていない旨述べている。

さらに、被告人は、昭和五三年六月一〇日付の検察官に対する供述調書においても、右供述を維持し、Uターンして夜昼トンネルを抜けて一旦八幡浜市へ入りながら、もう一度引き返して再び大洲市へ入つたかもしれませんとも供述している。

そして、昭和五八年一一月二二日の第九回公判期日においては、被告人は、松岡車を運転して八幡浜方面から夜昼トンネルを大洲方面に抜け、喫茶店のあつた所でUターンした記憶がある、自分ではそのように覚えがあるので検察官に話した、自分で思い出してみると喫茶店の所で引き返したうすらげな記憶なんですが、と述べている。

以上の被告人の供述の変遷を検討するに、頭部外傷により事故時の記憶を喪失した者が、その後時間の経過とともに記憶を回復することがあるのは一般に知られるところであり、被告人の右供述の変遷自体は特段不自然としないが、被告人が夜昼トンネルを大洲方面に抜け、喫茶店のある所でUターンしたとの供述部分は、被告人も当公判廷で自認するとおり極めて暖昧なもので、信憑力をもつた供述というには到底足りないものである。

被告人の昭和五二年五月九日付の検察官に対する供述調書では、相当具体的に、夜昼トンネルを出たところで八幡浜方面へUターンするに至つた経過が供述されているが、何故夜昼トンネルを抜けたところでUターンすることになつたのかについての被告人の供述は必ずしも説得力のある説明とはいえず、まして、右供述中、八幡浜方面へ引き返す途中相手車両と衝突したはずであるとの供述部分は、前記物的証拠と明らかに矛盾し、採用することができない。

7本件事故車両の走行速度についての判断

江守鑑定によれば、本件事故車両の重量、材質、衝突後の車両の破損、変形状況、衝突態様と衝突後の車両の運動軌跡等を基礎に力学的計算方法を用いて算出すれば、本件事故車両の衝突速度の算定は可能であり、衝突の際の松岡車の速度が時速約一〇五キロメートル、久保田車の速度が時速約四〇キロメートルであるというものである。そして、右鑑定結果は、衝突後の車両の運動エネルギーがすべてタイヤと路面の摩擦により消費されることを前提とした専門的計算方法と計算手順に基づいたもので、十分信用に値するものである。

これに対し、柴田鑑定は、右走行速度について、本件事故車両の衝突の際の相対速度が時速一〇〇キロメートルを越え、八幡浜方面からの進行車両の方が相対的に大きな速度を持つていたことは予測できるが、その詳細な速度の推定はできないと結論づけている。しかし、右走行速度についての柴田鑑定は、江守鑑定に比較すれば、力学的な考察や計算方法を何ら用いる努力をせずして、正確な車両速度の推定は困難であると結論づけるもので、科学的説得力に欠けること甚だしく、到底採用することができない。

しかして、本件事故車両のいずれについても、衝突前に急制動の措置を講じたと認めるに足りる証拠はなく、本件事故車両の衝突前の走行速度については、右江守鑑定による衝突の際の走行速度、すなわち、松岡車が時速約一〇五キロメートル、久保田車が時速約四〇キロメートルであつたものと認定する。

なお、司法警察員渡辺豊作成の実況見分調書添付写真によれば、本件事故直後、松岡車の速度メーターの針は零に戻り、久保田車のそれは時速約三七キロメートルを指してそれぞれ停つていたことが認められるが、車両の激突後の速度メーターの表示は、必ずしも正確な走行速度を示すものではなく、本件事故車両の走行速度の認定においてはこれを無視すべきである。

8結論

以上の次第から、被告人は松岡車を運転して八幡浜方面から大洲方面に向け走行中、反対車線の八幡浜方面行車線に自車を進入させ、同車線を対向して来た久保田車前部に自車前部を衝突させたこと、衝突地点は、国道一九七号線の「夜昼トンネル」大洲側出入口付近の八幡浜方面行車線上で、ガードレール一二番支柱前(別紙図1の印地点)付近であること、松岡車の衝突前の走行速度は、時速約一〇〇キロメートルであつたことの各事実が認められ、右事実認定についての弁護人の主張は、いずれも採用することができない。

第二弁護人は、判示第一の酒気帯び運転について、被告人からの本件血液採取は令状に基づかないもので違法であり、違法な採証方法により得られた血液鑑定の結果を有罪の証拠とすることはできないから、右事実につき被告人は無罪であると主張する。

そこで、検討するに、被告人からの本件血液採取及び血液鑑定に至る経過事実は、前記第一の2の(二)、(三)において認定したとおりである。

本来、捜査機関による被疑者の身体からの血液の採取は、被疑者の同意に基づくか、右同意が得られない場合は、裁判官の発する鑑定処分許可令状に基づき、専門的医師等により行なわれるべきであることは多言を要しないところ、本件の場合、右認定事実に照らせば、渡辺豊巡査部長は、本件事故直後大洲中央病院へ搬送された被告人について飲酒運転の疑いがあるとの判断のもとに、大洲警察署を通じて被告人の血液検査の必要を指示し、その依頼を受けた大洲中央病院医師本条征史が被告人を診察する際に、被告人の左膝関節部の出血部位から流出して貯留した状態の血液を針のない注射器で吸引して採取したものである。そして、この際、被告人は人定事項や全身状態について割合正確に応答できる状態であつたが、右血液採取に対し特段の拒絶的態度を示していない事実が窺える。

右認定事実によれば、被告人からの本件血液採取は、本件事故直後の重傷を負つた被告人の意識状態からして同人の承諾を得たものとみることは困難だとしても、被告人から採取された血液は、同人の身体から流出して左膝関節部に貯留していたもので、被告人の身体の一部に付着していたとはいえ同人の排他的支配の意思はすでにないものとみられ、一方、その採取方法は、専門的医師により被告人の生命、身体に支障を来さないとの判断のもとになされており、加えて、血液中のアルコール含有量の検査は、飲酒後なるべく早い時期に採取された血液からなされるべきで、その意味から本件では被告人の血液を採取する必要性と緊急性が認められ、以上の事情を総合考慮すれば、被告人からの本件血液採取をもつて、令状主義を逸脱した違法、無効なものであるとまでいうことはできないというべきである。

よつて、本件血液採取についての弁護人の主張は、採用することができない。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は道路交通法一一七条の二第一号、六五条一項に該当し、判示第二の業務上の過失により久保田暁子ら四名を死傷させた所為はいずれも刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号にそれぞれ該当するところこれらは一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として犯情の最も重い久保田暁子に対する業務上過失致死罪の罪で処断することとし、右各所定刑中いずれも懲役刑を選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により重い判示第二の右業務上過失致死罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役一年六月に処することとし、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとする。

(量刑の理由)

本件事故は、被告人が飲酒の上、正常な運転ができない状態で普通自動車を運転し、高速度のまま反対車線に自車を暴走させたため、おりから対向して来た被害車両に自車を激突させ、もつて、被害車両運転者と自車同乗者の成人女性二名を即死させ、被害車両同乗者の成人男子一名、同未成年者一名にそれぞれ重傷を負わせたものであり、その犯行の態様は交通事犯として最も悪質な類型に属するものであり、二名の死亡者を含む被害の結果は誠に重大であるといわなければならない。

殊に、被害車両側は、自車線上を進行していたもので特記すべき過失は見当らず、同車両の乗務員のうち、死亡者一名、重傷者二名の被害者を生じせしめた被告人の刑事責任は極めて重大であるというべきである。

一方、被告人には、本件事故まで速度違反により二回罰金刑に処せられているが人身事故としては本件が初めてであること、事故後において被害者の側との示談がいずれも成立しており、自動車保険からの給付金四九一九万円の他に自己負担金一〇四〇万円(総額五九五九万円、うち久保田側四〇一九万円、日野側一九四〇万円、いずれも昭和五二年当時)の損害賠償金支払がなされていること、また、本件事故の態様ないし原因についての解明が難航したため、被告人は事故発生後これまで約八年間の長期間に亘り被疑者、被告人としての立場に立たされて来たこと、本件事故の捜査ないし公判審理の長期化の原因については、事故それ自体の難しさが第一に挙げられるものの、事故の規模、態様に応じた初動捜査が必ずしも適正かつ十分に行われたとはいい難い面が指摘されること(死亡者二名を出し、しかも目撃者を欠いた深夜の重大事故にもかかわらず、事故現場の実況見分が交通係担当の巡査部長一名と補助立会の司法巡査一名の僅か二名の警察官により行なわれ、その結果やや杜撰といえる実況見分調書が作成されており、このことがその後の本件事故の解明に少なからず支障を生じさせた点は否定できないところである。)、さらに、被害者のうち被告人運転車両の同乗者には、被告人の飲酒運転を認識しつつ同乗した点に落度が認められること、被告人も自ら惹起させたこととはいえ本件事故により重傷を負い、当時勤務していた会社を退職するなど相当の社会的不利益を強いられていることなどの事情が存在し、これらの事情は被告人に有利な情状として十分考慮しなければならないが、かかる事情を考慮したうえでもなお、被告人の前記過失行為の態様とその結果の重大性に鑑みれば、被告人を実刑に処することはやむを得ないところと思料され、以上の諸般の事情を総合考慮したうえ、主文掲記の量刑(懲役一年六月、求刑懲役三年)が相当であると判断した次第である。

よつて、主文のとおり判決する。

(佐藤武彦)

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